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上の写真は、先日のブログでも紹介しました、『十四経発揮』の最後のページです。 出版されたのは、寛文5年(1665年)の江戸初期であることが見るとわかります。ちょうどこの頃は、黄門様で有名な水戸光圀が、『大日本史』を編纂し始めた時期でもあります。 また、出版元が山本長兵衛というところで、すでにこの時代には出版する組織があったことがわかります。 こちらは、漢方薬のバイブル『金匱要略』という書物で、江戸時代に日本で出版されたものです。 最後のページには、寛保3年(1743年)に原刻、天明8年(1788年)に再刻、そしてこの本が印刷された文化3年(1806年)の年号の文字が見られます。出版元は、諧仙堂となっています。 左のページを見ると、諧仙堂が出版した医書の出版目録があり、江戸の中・末期には、印刷・出版・在庫管理・発売というシステムが完成していたことをうかがわせてくれます。 『十四経発揮』は、現在の中国の金・元時代に滑白仁(かっぱくじん)が著した書物といわれています。 同じ金・元時代に活躍した医師として、朱震亨(しゅしんこう)と李杲(りこう)がいます。その思想は、陰を保養(養陰派)したり胃や脾をいたわる(温補派)としたもので、二人合わせて「李朱医学」と呼ばれました。 この金・元時代は、宋の時代の印刷技術がさらに発展した時代で、多くの書物が出回るようになっていました。 「李朱医学」は、戦争で傷ついた兵士を治療する医学として、その時代にマッチした医学でしたが、そうした出版技術の発展も医学の普及に役立ちました。 大陸では明の時代となり、田代三喜(たしろさんき)が「李朱医学」を輸入します。やがて、弟子の曲名瀬道三(まなせどうざん)に受け継がれ日本で広まりますが、日本国内でも発展した出版技術が、その役割の一翼を担ったといえる時代背景が同じくあるようです。 それまでは、医療は上流階級の者たちだけが受けられるものでしたが、医書が多く流通することにより医学知識が広まり、一般の庶民でも医療を受けられる下地ができました。その反動で、藪医者も誕生するようになったようですが。ちなみに、律令制度下では、鍼灸師は官僚でした。 現代はインターネットの普及で、居ながらにして世界の医療情報を収集できるようになってきました。情報量が多いので取捨選択し、正しい情報だけを集める努力が必要になってきましたが、こうした医学の普及には、出版技術の発展が時代背景としてあったと思います。 |
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